インタビューマガジン『B.S.TIMES』。国内外のビジネスリーダーや文化人を専属の芸能レポーターが訪問して取材。隔月出版にて、フリーペーパーとWEB、Kindleにてリリースしています。

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創刊号紹介

日本人は貧しい国民かもしれない

■フィリピンで起業、飲食店を検討
 
 二〇一五年六月、いよいよ建設の無事を祈る地鎮祭。祈祷するため、久々に海の向こうで袈裟をまとう。やはり日本の僧侶だから、この儀式は行おうと決めていた。建築予定の小学校敷地内に入ると何やら騒がしい。太鼓に笛の音が響いてくる…かわいい鼓笛隊の出迎えだ! 校舎には横断幕が掲げられていた。ウエルカムと書かれた文字の下に僕の名前、そしてTerakoyaの文字が踊る。仲間の綴りは少し間違っていて、僕らは思わず笑う。はためく幕を見て、静かな気持ちになった。「大変だったけど、やってきたことは間違っていない」と、僕は心の中でサンタリタの人々のあたたかさに頭を下げた。 

同地に行くようになって僕の人生には変化が訪れた。それは自分を疑うようになったことだ。例えば、僕にはTerakoyaをつくるにあたりひとつの心配があった。それは国立小学校の同じ敷地内に貧しい子供たちの学校が建つことだ。子供がテラコヤの制服を着ていると、それは低所得のレッテルとなり、子供たちの間で差別の問題が起きないかという心配だった。けれども、今回の大きな鼓笛隊の音、国立小学校で学ぶ子供たちの歓声、感謝にあふれる澄んだまなざしを見て、恥ずかしい気持ちになった。自分の懸念がいびつな考えの上にあるように思えてならなかった。同地の人々と接しているとこういった居心地の悪さを経験することがある。物質的に豊かな日本だが、日本人は本当に豊かだろうか。この国の人々は家族を愛し、隣人を信頼し、疑うことを知らず、感謝を知る。日本では子供が親を殺すような事件が起こり、隣人を知らず、疑心暗鬼にさらされ、足るを知ることを忘れている。日本人の僕の方こそ、彼らより貧しいのかもしれない。

とはいえ、都市化が進む首都マニラでは人々は豊かさを忘れつつある。スモーキーマウンテンに住む親は夜中に子供を通りに出して、花を売り、ダンスをさせ、チップをねだらせる。両親は働かずに子供の稼ぎでどうにか口をしのぐのだ。もともとは都会の暮らしを夢見て地方からやってきた人々は働く場所のない現実に疲弊し、勤労意欲も奪われる。次第に子供に稼がせて生きることになる。その子供は大きくなり、また自分の子供に同じことをやらせる。サンタリタで地鎮祭を終えてマニラの宿に戻ってきた時、高揚感でいっぱいだった僕らだったが、目の端に道路に座るマニラの子供をとらえて、冷や水を浴びせられた。ひとりの花売りの少年が疲れて、道路の脇で花を抱えたまま眠っていた。頭にはシラミが沸いて、頭皮が禿げ上がっていた。今、サンタリタに教育施設テラコヤができようとしている。本当は一番貧しいこのマニラにつくりたかった。今、やっていることが種植えになればいい。その種を育てて花を咲かせ、また種を落として、いつかマニラをあの子供が普通に暮らせるような国にしたい。

さて、学校は建ち始めた。次は継続のことを考えなくてはいけない。ラリが奮闘して職人を指示している。資金を少しでも節約するために、自分で木を切り、釘を打とうというのだ。日本から最新型の電ノコを持ってくると、ラリはいたく感動していた。「すばらしい精度!」。フィリピンの人たちは何でも自分でつくってしまう。自動車などはエンジンやらバンパーやらが部品で販売されているので、それを自分で組み立てるのだ。まるで日本の戦後を見ているように、たくましく生き抜く力にあふれている。

 さて、資金集めには相変わらず苦労していた。日本でクラウドファンディングの話を教えてくれた人がいた。インターネットで寄付を集めるシステムがあるそうだ。僕らはそれまでそういったことには疎かったので、かなりアナログに寄付を集め、工面していた。仲間と相談し、早速、そのクラウドファンディングで呼びかけを行うことにしてみた。さらに資金面で一番大切なのはフィリピン国内での事業計画。二クラスの生徒を抱えて学校を運営するためには日本円で月に四十万円が必要。現地で雇用を生み、収益をあげ、それを学校の運営にあてることが必要不可欠だ。その事業内容を何にするかは現地担当職員のラリと頭を悩ませた。最初のアイデアは「カレー屋」だった。ところが日本のシェフに特別に教えてもらった、特製カレーライスはまったくウケが悪く、五人のうち四人がマズイと訴えた。どうもカレーと同じ色の食べ物が同国には存在しないらしく、未知の料理は好まれない傾向にある。それではということで、次に机上にあがったのが、「たこ焼き屋」だ。原価も安く、練習をすれば誰でも焼くことができる。日本のものとはイメージの違う、固いお好み焼きボールみたいなシロモノだが、これなら受け入れられそうだ。何店舗か視察に行ったが、売上も悪くなさそう。あまり迷っている暇もない、ラリと土地を借りる検討に入った。まさか、フィリピンで経営者になって、スタッフを雇い『たこ焼き屋』をはじめることになろうとは思いもよらなかった。(続く)


※この記事はB,S.TimesがTerakoyaの企画を同時進行で追うルポ記事です。

Terakoya企画の詳細・寄付・問い合わせはこちら
http://tainenji.net/terakoya


 

 

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